ジブリ
【制作秘話】ジブリの名作 『紅の豚』、元々30分程度の短編作品だった…!
https://bunshun.jp/articles/-/51365
すずき たけし 14時間前
“この映画は、飛行艇時代の地中海を舞台に、誇りと女と金をかけて空中海賊と戦い、紅の豚とよばれた一匹の豚の物語である。”
日本語を含めた10ヶ国語分のあらすじがタイプライターの打刻音とともに、宮崎駿監督がデザインした日本テレビのシンボル「なんだろう」10匹(?)から現れる。アラビア語だけ右からだったり、下2行のフランス語とドイツ語だけほんのちょっと長かったりと、どこか冗談まじりでユーモラスな雰囲気が漂うこのシーンから「どうやらこの映画は気楽に見ていいようだ」という“お気楽さ”が見るものの肩肘を和らげる。
『紅の豚』(1992)はまさしく宮崎駿監督が冗談半分で企画した作品であった。最初は。
本当は国際線の機内上映向け映画だった『紅の豚』
『紅の豚』は宮崎作品の中でも、もっとも監督の個人的な映画として知られる。
当時“ド中年”だった監督自身が豚で中年の主人公ポルコ・ロッソに投影されていることは、多くの人が指摘するところである。
そもそも本作の企画の発端は、『となりのトトロ』(1988)や『魔女の宅急便』(1989)と立て続けに監督して疲弊していた宮崎監督に、プロデューサーの鈴木敏夫氏が「ここはひとつ好きな飛行機映画でも作ってもらって気分転換してもらおう」と思い立ったことだった。
つまり本作が製作されたのは宮崎監督への“慰労”が目的だったのである。
当初は劇場作品としてではなく、15分から45分程度の短編作品とした企画であった。
しかし当時製作していた高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ』の完成が(この頃のジブリでよく見られたように)延びたために『紅の豚』の正式な製作はなかなか開始されず、準備室として宮崎監督たったひとりでスタートした。
いつまでたっても『紅の豚』にスタッフが合流できない中、『おもひでぽろぽろ』の製作に付きっきりとなっていた鈴木氏の机には「紅の豚、俺ひとりでやれというのか」と宮崎監督の置き手紙があったという。(鈴木氏はそれを無視)
その後本作はJALの国際線での機内上映作品として正式に製作が決定されたが、宮崎監督の絵コンテの段階で(こちらもこの頃のジブリでしばしばみられたように)尺が伸びたことで、結局は製作予算の回収などを考えて劇場公開作品にせざるを得なくなったのが実情であった。
【衝撃】ジブリ大好き人間なんだが、ずっとラピュタだけが好きになれなかった理由がやっとわかった
![]() | 『ラピュタ』シータが冒頭、ドーラ一家に捕まってたら? 物語の結末を考察 (出典:マグミクス) |
『天空の城ラピュタ』(てんくうのしろラピュタ)は、スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画作品。スタジオジブリ初制作作品。監督は宮崎駿。 監督である宮崎の小学校時代に考えていた架空の作品が骨子となっており、原作となる作品が存在しない初のアニメオリジナルの監督作品である。製作は徳間書店。高畑勲の 124キロバイト (17,864 語) - 2022年7月22日 (金) 10:44 |
キャラの葛藤や癒やしみたいな人間の心理描写少ないからひたすら無機質な映画にみえるんだ
【仕事の鬼】巨匠・宮崎駿が30代の時の仕事量、ガチでとんでもないレベルだった
宮崎 駿(みやざき はやお、1941年〈昭和16年〉1月5日 - )は、日本の映画監督・アニメーター・漫画家。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。宮﨑 駿と表記されることもある。株式会社スタジオジブリ取締役、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事長、三鷹市立 147キロバイト (16,982 語) - 2022年7月4日 (月) 01:37 |
アルプスの少女ハイジでの宮崎駿の役職はレイアウト
レイアウトはこういう絵を描く仕事。
(出典 i.imgur.com)
レイアウトというのは単なる構図を描いた絵ではなく、キャラクターの演技設計や衣装やポーズ、表情、カメラワークや撮影フレームの指示、撮影への各種指示(素材分けの指示等)、時間帯の指示、照明の設定、植生や地形、建築物や小道具等の美術設定(これらのデザインも全て宮崎駿が行う)、彩色への指示、原画マンへの指示等を詳細に書き込んだ設計図となる。
ハイジは1話あたり300カット前後。つまり一週間で300枚のレイアウトが必要となる。
宮崎駿は一日当たり50枚のレイアウトを描いた(ベテランアニメーターでもレイアウトは一日1~3枚しか描けない)。
1枚20分という人間離れしたスピードで、休憩無しで17時間連続で描いてようやく50枚。
この作業を正月の6日から年末の29日までの放送に間に合わせるために丸一年間続けた(机の下で眠った)。